第二話『丘の上の誓い』―2―





 次の日の朝早く、小鳥がうるさいくらいに鳴き交わしている中、ブロントは丘を登っていった。微かに甘みを含んだ風が重苦しい気分を少し軽くしてくれた。丘の上にある大きな木の下は、ブロントがよく行く所だ。剣術の鍛錬でも、読書でも。何をやるにもすがすがしいその場所は、ブロントのお気に入りなのだ。ブロントは、丘の上にある木の下に座ろうとした。
 だが、そこにはすでに先客がいた。

「おはよう、ブロント」
「おはよう、マゼンダ。――どうしてここにいるんだ?」

 ちょうど朝食の時間である。それに、彼女が丘の上に来るのは、たいていが賢者の授業をサボるため。今日は何もないはずだけど。珍しい事もあるものだ。

「ん〜ん、ここにいたらブロントが来るかなぁ、って思ったから」
「え?」
「ちょっと聞きたい事があるんだ」

 昨日の今日でありながら、マゼンダの顔は意外に晴れやかだった。

「――聞きたい事?」
「そう。単刀直入に言うわよ。ブロントはファリアを助けに行くの? 行かないの?」
「助けに行くに決まってるだろう」

 マゼンダは大きく頷いた。

「やっぱりね。じゃあ、私も行くわ」
「えっ?」

 突然言われた事に、ブロントは驚きを隠せなかった。一瞬、思考がうまく働かなかった。マゼンダは、仕方ないなぁ、とばかりに言った。

「あのね、私が一緒に行ってあげる、って言ったのよ。ブロントだけじゃ心配だしね」
「心配って……」

 子供じゃあるまいし。ブロントは憮然とした。

「――だって、ブロントは一生懸命になると自分のことが見えなくなるもの」

 だから、見張りは必要でしょ。いたずらっぽくそう言ってくすりと笑う。ブロントは瞠目した。確かに、ひとつの事にとらわれると周りが見えなくなる事はある。でも、それを看破されているとは思わなかったのだ。流石、長年の付き合いだと言うべきか。

「……でも、旅は危険だぞ」
「そんな事わかってるわよ。物見遊山じゃないことくらい」
「だったら……」
「ああ、もう。しつこいわね。親の許可はもらったし、大丈夫よ」

 もらったのか。ふいに、ブロントの頭に『うふふふふ……』とにっこり微笑んで笑うマゼンダの母の顔が浮かんだ。
 ――確かにあの人なら許可するかもしれない。
 ブロントが何と言おうか、と考えあぐねていたとき、もうひとつの声が聞こえてきた。

「イイところで邪魔して悪いけど、そういう事なら僕もついていくよ?」
「ブルース!」
「マゼンダだけに抜け駆けさせるわけにもいかないしね。で、ブロント。何か問題でもあるのかい?」

 ブロントは沈黙した。突っ込みたいところは多々あるが――。

「お前、いつからそこにいたんだ?」
「さぁ? 企業秘密ってことで」

 怪しいほどにそらっとぼける。何と言うか……聞かれてマズイ会話をしていたわけではないが、妙に気にかかる。

「う〜ん……もっと色っぽい話を期待してたんだけどなぁ」

 なんて、ぼそぼそ呟いているから尚更だ。

「ブルース……選ばせてあげるわ。炎の制裁と引っかき攻撃、どっちがいい?」

 にっこり、どろどろとしたオーラを出しながら微笑むマゼンダはとてつもなく物騒で不気味だった。関係ないハズなのにブロントは背中に冷や汗が伝うのがわかった。このままいけば、地獄を見ることになるのは確実だ。

「と、とにかく。どういうことなんだ? 2人とも行くって……」
「わざわざ聞き返すことじゃないと思うけど? 見聞を広めることにもなるしね」
「うだうだ、うだうだ、言ってないでさっさと状況を受け入れてよね」

 一石二鳥だとノホホンと笑うブルースに呆れたように見やるマゼンダ。2人の友人に心強いものを感じてブロントは少し肩の力が抜けた。そうやって支え合っていけるのだから、大丈夫だと。
 何の根拠もないのにそう思えた。



「でね、ブロント。もう1つ聞きたいことがあるんだけど」
「何だ?」
「ほら、桜祭りで……火事が起きたとき、どうして炎の中を潜り抜けられたの?」
「ああ、そのことか」

 ブロントは頷いた。そして、記憶を手繰った。

「まず、はじめにおかしいと思ったのは、近くにあった桜の木が燃えているのに、俺たちの周囲まで火がやってこなかったことだ。燃え移ってもおかしくないだけの時間はたっていたしな。
で、見つけたのがマゼンダのその指輪だった。――マゼンダ、その指輪は魔法銀でできているものだろ?」
「えっと……魔法銀って何?」

 小首をかしげながらマゼンダが訊ねる。ブルースは、と見ると、こちらも同様のようだ。ブロントは半眼で二人を眺めた。

「……一ヶ月くらい前にじいさんの授業で習っただろ」
「そうだっけ? 記憶にないなぁ――ブルースは?」
「いや、全然。宝飾品の類にはそんなに興味ないし」

 そういう問題じゃないだろう、と思ったが、言っても無駄だという事は良くわかっている。ブロントは先を続けた。

「かつて闇の魔王が倒されたときに、聖騎士が使っていた剣はこれでできていた、と言われている。ごく僅かにしか取れない希少な銀で、さまざまな魔力を秘めているらしい。
――マゼンダが持っているその指輪は、防御の魔法でも持っているんじゃないか?」
「ふぅん、そんなに凄い指輪だったのね、これ。おじさんはちょっとしたバリアが張れるって言っていたけど……」

 値切ったりして悪かったかしら、マゼンダは小さく呟いた。

「……というか、ブロント。あの状況で良くわかったね」
「指輪のせいだ、って気がついたのは家に帰る途中だったけどな。とにかく、なにか魔法が働いているのはわかった」


「ふむ、ブロント、良く覚えておったな」

突然、背後から予想もしない声をかけられて、ブロント達は飛び上がった。

「じいさん!」
「あ、け、賢者さま、お、おはようございますっ!」

どこから聞かれていたのか。場合によっては課題がどっさりと出されてしまいそうだ。

「ふぉっふぉっふぉ。マゼンダ、そんなに慌てることはないぞ? 別に、授業を聞いていなかったことを今咎めるつもりはないからの。おぉ、ブルースもな」
(やっぱり聞かれてたぁ)
(しまった、バレたか……)

 『今』咎めることはない、と言うことは、次の授業のときが恐ろしい。今更、自分たちのうかつさを嘆いたところで仕方がないが、困った事態に陥ってしまった。

「ところで、じいさんはどうしてここに?」

 まだ稽古をつけてもらう時間には早い。遅刻したから迎えに来た、というわけではないはずだ。

「準備をする前に少し話をしておこうと思ってな」

 賢者はゆるりと微笑むと、すぐさま真剣な表情で三人を見据えた。

「旅は決して楽なものではないぞ。気を引き締めていかねば、時には命を落とすこともある。――長い旅路は過酷なものだ。自然の力を甘く見ることは許されない。お互いに助け合っていくことが必要となる」

 それでも、それを。

「お前たちは最後まで諦めずにきちんと成せるか?」

「当然だ」
「ええ」
「勿論」

 即答だった。その瞳に宿るのは強固なる意志。それは悩んだ末なのであろうが、それを決断するだけの力があるのであれば……。

「ふむ……まぁ、合格、じゃな。――ところで、ファリアを見つける当てはあるのかね?」

ブロントは力なく首を横に振った。

「じゃろうな。じゃが、ファリアを連れ去ったのが魔物である事を考えると、ある程度予想はつく」

 賢者は、静かに腰を下ろすと語り始めた。

「まず、この世界が3つに分かれている事は知っておるな?」
「ええっと、ファーレンとグーテンブルクとリューレスね」
「うむ。それで、モンスターが多く生息するのは?」
「リューレス、か……」

 ブロントの眼光が俄然、鋭くなった。モンスターが数多く生息するその地は、人間にとっては禁忌になることもあるほど未知の世界であった。

「しかし、そこは危険じゃからの。行くには国王の許可証がいる」
「許可証……それはどうやって手に入れたら良いんですか?」

 たいてい、そういうものは手続きを踏まねば手に入らぬものだ。面倒そうだと思いながらマゼンダは質問した。

「そうじゃのぉ……わしも隠居生活が長いから今の制度は良くわからんが……おお、そうじゃ。グーテンブルクにいる知人に手紙を書こう。色々と力になってくれるじゃろう」
「グーテンブルクに行くのに許可は要らないのか?」
「グーテンブルクには特殊な結界が張ってあってな、邪心を持つものが都に入る事はできない様になっておる。だから、許可証は必要ないんじゃ」
「と言う事は……最初の目的地はグーテンブルクか」

 一体、どんな都なのだろうか。



 手紙をしたためるために賢者が立ち去った後も、3人はしばらく丘の上でぼんやりとしていた。やる事はだんだんはっきりとしてきたが、正直、いまだ実感があまりわかなかった。

「グーテンブルクかぁ。一回行って見たかったんだよね、楽しみだわ」

 なにやら、るんるんとマゼンダが口を開いた。瞳がきらきらと輝き、じつに楽しそうだ。

「……マゼンダ。目的を見誤っていないよね?」
「勿論よ。ファリアを助け出す事でしょ。でもね、グーテンブルクは魔法使いや僧侶が修行する場として有名なの。魔法を使う者なら誰でも一度は行ってみたいと思うものなのよ!」

 ぎゅっとこぶしを握り締めて力説するマゼンダの勢いに、ブロントとブルースはただ唖然とするより他なかった。

「そ、そうか……んじゃ、俺は時間だからそろそろ行くとするか」

 ブロントはすぐさま逃げる体制をとったが、そううまくはいかなかった。ブルースとマゼンダが次々と名乗りを上げたのだ。

「あ、ちょっと待ってよ。鍛錬、賢者さまに見ていただけるんでしょ? 私も行くわ!」
「僕も少し見てもらいたいな。良いだろ?」

 たとえついてくるな、と言ったとしても、それはまったく無意味な事だ。ブロントが2人に何も言わなかったのはそう考えたからかもしれない。






 一週間後。
 まだ、太陽が山の後ろから顔を出し始めた頃なのに、村の入り口には多くの人が集まっていた。人々は、旅立つ者……ブロント、ブルース、マゼンダを見送るために集まってきているのだ。少し前までは、皆、三人にいろいろと声をかけていたが、今は、賢者のみが村人全ての気持ちを代弁している。

「最後に、約束してくれんか? 何があっても、必ずこの村に帰ってくると」
「分かってる。4人でまたこの門をくぐるよ」
「約束します。絶対に私たちは笑顔でこの村に帰ってくるわ」
「僕も、約束します」

 皆は黙って頷いた。泣いているものは一人としていない。皆、温かい笑顔―寂しさを一抹残してはいるが―で彼らを見送っている。

「行ってきます」

 短い言葉をひとつ残して、彼らはこれから進むべき道を見据えた。







<あとがき>
 第2話が完成、これで序章も完結ですね。書き直しのはずなのに、ずいぶん時間がかかるのは如何なものか……。初期の頃のあらすじのようなモノのせいなのか、はたまた自分がうだうだやっているのが悪いのか……。まぁ、それでも、一から打つよりかはハイペースなのですが。

 さて、これでようやくブロント達が旅立ちました。とはいえ、しばらくはこの三人組とお付き合いいただくことになるのですが。早く残りのメンバーも出したいものです。そのためには、早く書き直しを終える必要があるのですが。

 とにかく、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


                            2006年4月22日 掲載


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