第二話「丘の上の誓い」―1―
「ただいま〜」
マゼンダがドアを開けると、ちりんと飾りが音を立てる。防犯もかねているというが、たいして役には立ちそうにない装飾が光を浴びてきらめく様はとても美しく、普段ならばしばらく眺めているものなのだが、今日はまったく見る気がしない。
それでも、少しぼんやりしていると、いそいそと奥の台所から母が出て来た。
「お帰りなさい。随分と遅かったのねぇ……そのわりに、顔はしょぼくれているようだけど?」
「あっ、うん……いろいろあったから、ちょっと疲れちゃった」
やはり、母は鋭い。無理やり顔に貼り付けた微笑を見破ってしまったらしい。
敵わないな……。
ホッとする反面、なにやら申し訳ない気がしてくる。
「とにかく、ご飯にするから早く服を着替えてらっしゃい」
「は〜い」
その沈黙をどう解したのか、母はさっさとマゼンダを二階に追いやった。
ぱたん、とそっとドアを閉める。そのまま、ずるずるとドアにもたれかかるように座り込んで眼を閉じた。次々と今日の出来事が頭を巡った。
「ふぅ……」
ブロントは、ブルースは今何をやっているのだろうか。
そして、ファリアは。
どういう状況下にあるのか。無事でいてくれれば良いが……。最悪の事態が頭をよぎる。考えてはいけない、とは思いつつも、どうしても離れていかないのだ。マゼンダは、のろのろと立ち上がって着替え始めた。
ブロントはこれからどうするのだろうか。
何となく、答えは予想がつく。
もし、そうなった時、自分はどうするのだろうか。
自分のことなのに、わからない。
いや、むしろ、決めてしまうのを恐れているとでも言おうか。
ぐるぐる渦巻く不安をかかえながら、マゼンダは階下へ降りて行った。
マゼンダがリビングに戻った時、すでに食事の支度はできていた。
「遅かったわね。ほら、早く座って。せっかくの料理が冷めちゃうじゃない」
母親の言葉に押されるようにマゼンダは席につくと、手を合わせた。
「いただきます」
食事が始まっても、マゼンダは眉をしかめ、心はここにあらず、といった風体であった。
いつもより口数は格段に少なく、ぼんやりとしている。
「マゼンダ、どうしたんだ。元気がないな」
「え? あ、ううん。そうじゃないの。……ねぇ、お父さん、お母さん」
少しの逡巡の後、マゼンダは2人の顔を見据えた。
「もし、私が旅に出たいって言ったらどうする?」
しばし、時が止まった。かちゃかちゃと食器が触れ合う音すらも途絶えている。
「どうするも何も……旅に出たいのか?」
「う〜ん、まだ決めたわけじゃないんだけど……」
「どうして、突然そんな事を考えたの?」
「ん……女の子のカン、かな?」
「はぁ?」
父の目が点になった。当然のことながら、さっぱりわからんといった風だ。
「――それは、今日の桜祭りでの出来事と関係があるの?」
母が今日の事についてどれくらい知っているのかはわからない。けれど、マゼンダは強く頷いた。母は、しばらくじっとマゼンダを見ていたが、やがてくすりと笑みをこぼした。
――この子は自分の思いに気が付いているのかしら?
ふと、そんな事を思う。
「そう。マゼンダがどうしても行きたい、って言うなら私は止めないわよ」
「お、おい。母さん……」
拍子抜けするほどあっさりと返事をした母と裏腹に、父がひどく情けない顔をした。
「マゼンダはお父さんに似て頑固だから言い出したら聞かないしね」
それなら、気持ち良く送り出してやりたい。
彼女は、娘が自分たちの元から飛び立とうとしている事に気が付いていた。心配ではあるが、親がいつまでも縛り付けているわけにはいかない。
「何だって? 頑固なのは母さんの方じゃないか」
「いいえ。あなたの方ですよ」
「いやいや。これだけは譲れないな。頑固なのは母さんだ」
父が、どん、とテーブルを叩く。2人の言い争いは、まだしばらく続きそうだ。全く、2人とも頑固なんだから。娘の私が少しくらい頑固でも仕方ないわね。知らず知らずのうちに口元が緩んだ。
「ごちそうさまでした〜」
巻き込まれないうちに、さっさと後片付けを済ませて、マゼンダは部屋に戻った。
さて、明日こそはちゃんと話をしなければなるまい。結論を下すのは、その時でも良いだろう。
父はもう帰っているだろうか、と考えながら戸を開ける。
何というか、今日はひどく疲れた。
「ただいま……」
「お帰り。思ったよりも早かったね」
狩に出て、2日で帰ってくるなんて最短記録じゃないかい、と母は笑った。
「うん。モンスターを追っているうちにラグーナまで行っちゃってさ。ブロント達と会ったから一緒に帰ってきたんだ」
「そうかい。……ということは、また父ちゃんと、はぐれたのかい?」
ブルースの母がそう言うのには訳があった。ブルースは普段、父と共に狩に行くのだが、どう言ったわけか、必ず父とはぐれてしまうのだ。初めて狩に行ったときにもはぐれてしまった。ブルースが道に迷って、かなり困ったと言う事は言うまでもない。
最も、今でも道に迷ってはいるが。
どうやら、自分達は方向音痴なようだ。それでも、ちゃんと家には帰れるから、帰巣本能は備わっているのだろう。そう言うと、野生動物に紛れているうちに野生化したのではないか、とからかわれたが。ブルース自身も、その通りかもしれないと思うときが多々あった。
「――山に着くまでは一緒だったんだけどね」
すなわち、狩が始まった時は、もうすでにブルースは一人だったという事だ。
「まったく。どうしてあんた達はこうなんだろうねぇ……」
母が溜息をつく。わかってはいるが……なんとも奇妙な似たもの親子だ。
「しょうがないよ。――弓の手入れをしてくる」
「ん? 晩御飯はどうするんだい?」
「いらない」
悪いとは思ったが、少しでも早く一人になって考え事がしたかった。母が、少し戸惑ったように自分をみつめているのに気が付いていながら、ブルースは無視した。
ブルースは、部屋に戻るとやや小型の箱を取り出した。この箱の中にボロ布や油など手入れに必要なものをまとめているのだ。ブルースは黙々と作業をしていた。しかし、時々、ふっと作業をしている手が止まった。考え事に集中している時だ。
ブロントがファリアをこのまま放っておくとは考えられない。その事はマゼンダも理解しているだろう。その時、マゼンダはついて行くだろう、そんな気がする。
(僕は……僕はそうなったときどうしよう……)
未知の世界に旅立つと言うのは不安だ。人は誰でも、住みなれた安全な場所にいることを望むものなのだから。わくわくすると言う気持ちも無くはない。しかし、当てもなく彷徨う旅に出ることは、不安の方がたちまさる。その時自分はついて行くのか、否か。
ブルースは決意を決めかねていた。別に、黙って見送ったとしてもブロントは何も言うまい。
けれども……………。
その夜、ブルースはずっと弓をみがき続けていた。
ブロントが住む賢者の家は、村を抜けてしばらく坂道を登ったところにある。ブロントが賢者の家に帰り着いたとき、家の前には賢者が立っていた。
「じいさん……どうして外にいるんだ?」
「なに、足音が一人分しか聞こえんかったから気になってな。ところで、ファリアはどうしたんじゃ?」
「……実は……」
ブロントは今日の出来事を話した。
苛立ちを賢者にぶつけるように、話し続けた。
全て聞き終わった時、賢者は嘆息した。
「なんと、まぁ……そのような事態になっていたとはのぅ」
賢者は黙って瞑目した。しん、とした静寂が辺りを包み込む。ブロントは唇を噛んだ。
暗い。
今朝の沸き立つような興奮は一体どこに消えてしまったのか。今は、怒りと疲れ、そして情けなさが妙な具合に交じり合っていた。
「ところで。ブロント、そなたはこれからどうするつもりじゃ」
「決まってる。例え何があっても、ファリアを探して、助け出す」
「ふむ。そうか……」
賢者はしばらく考え込む様に空を見上げていた。
風が木の葉を揺らしている音がやけに大きく聞こえた。ブロントは、夜であるためお互いの表情がよくわからないのを感謝した。
やがて、賢者が口を開いた。
「旅に出る、と言う事じゃな?」
「はい」
「つらく、長い旅路になるぞ」
「わかっています。それでも……きっと、ファリアは俺を待ってます」
でも、いや、だからこそ、行かねばならない。
ブロントの瞳に浮かぶ決意の色を見て賢者は頷いた。
「止めても聞きそうにないな。……いつ出立するつもりなんじゃ?」
「明日にでも」
勇み立つブロントを賢者は止めた。
「そう慌てるでない。備えあれば憂いなしとも言うじゃろうが。何の備えもなく送り出すわけにはいかんの」
「…………………………」
「助け出す前にそなたが倒れては元も子もあるまい。まぁ、その間にわしが少し奥義を伝授してやろう」
「?! まさか! 『技』を?」
賢者は重々しく頷いた。
「今まで何を言っても教えてくれなかったのに……」
「当然じゃ。学ぶだけの準備が出来ておらんかったからな。さぁ、明日からに備えて今日は早く寝むんじゃな」
「じいさん……ありがとう」
「教えるとは言ったが、できるかどうかはまた別じゃ。礼を言うにはまだ早いぞ。……さてと、食事にするか」
ほっほっほ、と笑い声を上げながら賢者は家に入った。
ブロントは、少し空を見上げてから賢者の後を追って家の中に入っていった。
必ず、必ずこの手で助け出してみせる。
その決意を星に誓って。
2006年4月20日 掲載
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