〔 ホワイトデーの贈り物 〕
「う、う〜ん……はぁ〜……」
先ほどから何度目だろうか。執務室で1人のエルフが、仕事を片付けながら、頭を抱えては溜息をつき、を繰り返していた。
エルフの長、ルファだ。エルフだけあってか、若いが博識で有能な族長である。しかし、今は仕事も考え事もほとんど進んでいなかった。
全くお手上げだ。
一体どうすれば良いものなのやら見当もつかない。
かちり、とペンを置き、窓の外をふと眺める。そして、また溜息をついた。
事の起こりは2週間ほど前の事。
それよりも少し前にとある人間の軍隊――といえるほどの人数は居なかったが――によってエルフとアマゾネスの争いが終結したのが原因の一部であった。……というよりも、彼らが持ちこんだ異文化が問題であった。どうやら、彼らの住む地域には『ばれんたいん』と呼ばれるイベントがあるらしい。別にそれ自体に問題があるわけではない。仲直りの意味もあってか、エルフとアマゾネスの間で『ちょこれーと』と呼ばれる不思議なお菓子がやり取りされていてもだ。今まで全く交流がなかったことを考えると、むしろ、喜ばしい事だと言える。
その時にどっさりと山のように届けられたソレの対処はエミリ達に任せてある。だから、この事は恐らく心配する必要はあるまい。
が、こればかりは……。ルファはちらりと机の端にちょこん、と乗っているソレを見た。――最も、中身はもう食べてしまったので包装紙だけなのだが。
渡して来い、と無理やり強制された、とか何とか言いながら真っ赤になったミドリから受け取ったものだ。勿論、コレは問題ではない。問題なのは――そう、お返しだ。
『ばれんたいんでー』の一月後に『ほわいとでー』とか言うものがあると言うのは聞いた。しかし、その時に何を返すべきなのか。それが見当もつかないのだ。何でも良い、と言うわけではなさそうだ。ばれんたいんでは『ちょこれーと』というモノだったし。きっと何かあるのだろうが……。
「全く、困りましたねぇ……」
戦争が終わったからこそ、このように平和ボケしそうな考え事ができるのをだと言うことに感謝しつつ、ルファはつぶやいた。
「何をそんなにお困りなんです?」
ふいに、声がかけられた。はっとして顔を上げると、そこには書類を抱えた秘書の1人、エリスが立っていた。……彼女が入ってくるのにも気が付かなかったのか……。ルファは自分の無防備さに半ば呆れつつ、言葉を紡いだ。
「あ、いえ。そんなにたいした事ではありません。――その書類、頂けますか」
だが、エリスは渡そうとはしなかった。ただ、黙って訝しげにルファの手元を見つめている。
「――先程お渡しした書類の処理も終わらないほど、考え事をなさっていたようですけど?」
いつもなら全て終えていて、のんびりお茶でもしているくらいの量だ。それでも、たいした事じゃないとおっしゃるのですか? とでも言いたげな瞳でルファを見る。
「あ……えっと…それはですね……」
しまった、と心の中で舌打ちしつつ必死に頭を働かせる。そんなルファを見て、エリスはやれやれと肩をすくめた。
「まぁ、別におっしゃりたくないのであれば無理にとは言いませんけど」
「あ、いえ…別にそう言うわけで無く……あ、そうだ、ところで、あのちょこれーとの山、どうなりました?」
必死に話題を変える。
だが、ただこの話を無意味にふった訳ではない。このチョコへの対応がマネできれば…と考えたのである。
「別にどうなってもいませんよ。全てあのまま置いてあります」
しかし、案の定とも言えるこの返事。
「えっと、ですから、お礼などは大丈夫なのかな、と」
さりげなく、さりげなく、を装いながら話を核心に近づける。エリスは、不思議そうに首をかしげながら言った。どうしてそんな事をルファが気にかけるのかが分からない、と言った風だ。
「別にそれは必要無いと思いますが。ほぼ全てが臣民からのものですし、民は恐らくそのような事は考えてはいないでしょうから」
「……そうですか。分かりました」
かなり落胆しているルファの様子をエリスはしばらく黙って眺めていた。ルファがもう下がって良いですよ、と言ったのにも気にかけずに。
「――ひょっとして、ルファ様が悩まれているのはお返しについてなのですか?」
ふいに、言う。そのままずばり確信を突いたその問いに、何の準備もしていなかったルファはしどもどろになった。いつも沈着冷静なルファに似合わず、あたふたとしている。珍しいな。こんなルファ様を見るのは。エリスはいけないとは思いつつも、くすくすと笑うのを止められなかった。
「でしたら、ブロント様たちに相談なされてはいかがです?」
もともとあの方々から伝わったものですし。
「そうですね」
観念したのか、落ちついた、それでいて少し照れたような顔でルファは言った。
「では、私はこれで失礼します」
手早く書類を纏めると、そう言ってさっさとエリスは立ち去って行った。エリスが立ち去ってしばらくした後、ルファは部屋を出た。目指すは勿論ブロント達が滞在している部屋だ。
部屋の前に達、コンコンっと軽くノックする。ほ〜い、と言う間の抜けた声がしてガチャリと戸が空いた。ひょいっと声の主が顔を出した。無造作にくくられた金色の髪。リーダーのブロントだ。
「あれ、珍しい……で、族長さんがわざわざ何用で?」
ブロントは目を丸くしながら訊ねる。用があれば呼び出す事がほとんどだったため、当然と言えば当然の反応なのだが。
ルファは部屋の中を外からざっと見回した。部屋にいるのは、ジルバとブルース。ミドリはいないようだ。ほっと安堵の息をつく。
「ええ、少し相談事がありまして。個人的なことなので直接伺わせていただきました」
そのまま部屋に入り、勧められた席へ腰掛ける。
「――で、相談って何なんだ? 宿泊費払えとか言われても無理だからな」
落ちつく間もなくジルバが口火を切った。そして、その途端、ブロントとブルースによって殴られた。そのままぎゃんぎゃんと大騒ぎ。全く、賑やかな人達だ。ルファはくすりと笑った。
「いえ。そんな事は言いませんのでご安心を」
乱闘が一通り収まった所、でそう前振りをして切り出した。
「ところで、皆さん。ほわいとでーのお返しはどうなさるのですか?」
途端に、あ〜、と渋り顔が勢ぞろいした。……何か問題でもあるのだろうか。ルファは不安げに眉をしかめた。
「ホワイトデー……なぁ。チョコ、んなに貰ったのかよ?」
興味津々、と身を乗り出してくるジルバは後ろからはたかれてバランスを崩した。
「うわっと、何すんだよ!」
ぎっ、と呆れ顔のブロントを睨む。ブロントの手には一体どこから取り出したのか、しっかりとハリセンが握り締められている。
「――モテない者のひがみは置いとけって。それに、ルファの悩みはそこじゃないだろ。きっと」
金持ちそうだし、と内心思いながら黙らせる…ようとする。
そして、誰がモテないだって〜、と更に大騒ぎしているジルバをブルースに押しつけるとルファの方に向き直った。
「……詳しく話してもらえるか?」
「ええ……しかし、ジルバさんは大丈夫なのでしょうか?」
ちらり、と視線を走らせる。――まだ乱闘は続いている様だ。ブロントは、ああ、と苦笑いを浮かべた。
「戦争が終わったから欲求不満なんだろ。根っからの乱暴ものだから。後は嫉妬かな」
さらりと恐ろしいことを言う。しかも、放っておいてください、とあっさりと言いきった。はぁ…と不承不承頷いて、ルファは話を進めた。
「なるほど。どんなものを返せば良いのか、か。確かに分からないだろうなぁ」
チョコレートも知らなかったみたいだし。ブロントは腕を組んで、うんうんと頷きながら聞いていた。
「ホワイトデーならクッキーかキャンディーかマシュマロってのが一般的かな」
………………。
ルファの背中に冷や汗が流れるのが分かった。分からない。聞いたこともないものばかりだ――一体どんなモノなのやら見当もつかない。
世の中には変わったものがあるのだなぁ、と感心しつつも必死で頭を悩ませる。ひょっとしたら、仕事でもここまで考える事はないかもしれない。
「クッキーが本命で、マシュマロが友人、キャンディーが嫌いな人とか聞いたことがあるけど」
と、ふいにブルースが口を挟んだ。
そんなのまであるとはややこしいことこの上ない。しかし、そうなれば……。
「へぇ、さすがにそこまでは知らなかったな」
ブロントも目を丸くする。
いろいろあるんだよ〜、なんて妙にニンマリ笑っているブルースは少々薄気味悪かったが、嘘は言っていないようだ。とりあえず、それらの確保を考えなければなるまい。
その後、しばらくして。
ルファは彼らの部屋を後にして次の目的地へ向かうことになった。そこは女性陣が泊まっている部屋。なぜなら、肝心なお菓子の作り方を誰一人良く知らなかったからである。
コンコンっと軽くノックする。
「は〜い」
ガチャリ、と鍵を開ける音がする。出てきたのはテミであった。テミはルファが来た事に驚いたようで、ちょっとの間眼を見開いていたが、すぐにルファを招き入れた。
そこに女性陣全員が勢ぞろいしていた。ルファは、探す手間が省けてよかった、と思う反面、何となく気詰まりなものを感じた。
「あ…っと、お邪魔でしたでしょうか?」
どうやら、のんびりと女の子達だけでティータイムを楽しんでいたらしい。なんとなくの気まずさも手伝って、ルファは踵を返そうとした。
「あ、そんな事ないよ。遠慮しないで、どうぞどうぞ」
そういいながら、がさごそと動いて輪の中に場所を空けてくれる。失礼します、と言いつつ恐々と腰を下ろした。
「で、どんな御用の向きで?」
ちょっとの間沈黙が走る。
ただ、テミがお茶の用意をしている音だけがカチャカチャと聞こえていた。
「あのですね――」
重い口を開く。
「クッキーの作り方をご存じないかと思いまして……」
「クッキー? それくらいなら知ってるけど――何で?」
きょとん、とした表情でマゼンダが訊ねる。
……ホワイトデーのお返しについて知らないのだろうか?まさかそんな事はないと思うのだが……。
「えっとですね……」
そのまま、ブロントたちから聞いた話を繰り返した。
「ふ〜ん、なるほどね〜」
皆、納得、と言う表情で頷く。良かった。何とか教えてもらえそうだ。そう思って、ルファはホッとした。
「ん〜、でも、私は本命がキャンディーだって聞いたことあるけどなぁ……」
が、その矢先、ふとマゼンダが口を挟んだ。
「あら、マゼンダさんはそうなのですか? 私はてっきりマシュマロの方が本命だとばかり……」
「ふ〜ん……いろいろあるんだね」
「お返しは何でも良いんじゃないの? その3つ以外にも色々とあるし」
手際よくルファのためにお茶を淹れながらテミが言った。そして、のんびりお茶をすすりながら感心しているのはティンク。微妙に投げやりにも思える発言はリンである。とはいえ、皆、意見はばらばらのようだ。
ルファはますますがっくりと来るのを感じた。が、何とか気を静める。
「――とりあえず、3つとも作り方を教えていただけます?」
「――と言うワケなんです」
ジャングルの中でも少し開けたところにある小さな広場の陰で2人は向き合っていた。そういうルファの腕には3つの包みがあった。
「結局、どれをミドリに渡したらいいのか自分決められなかったので、ミドリにどれが本命用なのか決めてもらおうかと」
「ふ〜ん、それで3つもあるのか」
納得した、とミドリは頷いた。そして、少し考え込む。
「……選ぶのは、本命用でいいんだな?」
しっかりと念を押すミドリに、ルファは頷いた。
「ええ」
すると、ミドリは軽く頷いて、ルファの腕から3つの包みを取った。
「だったら、3つとも貰っとくよ」
「え?」
きょとん、としたルファにミドリは笑いながら説明した。
「だって……アタシもそんな事は全く知らないしさ。全部ルファがアタシのために用意してくれたモノなんだろ?
だから、全部貰っとく」
それで良いだろ?
と訊ねるミドリに、ルファは満面の笑みで頷いた。
「ありがとうございます」
そういうと、ミドリは驚いたようで、しばし眼をぱちくりとさせていた。
「……礼を言うのはコッチの方だろ? ――サンキュ」
そして、やっとの思いでしぼりだしたらしいこの一言。
ついこの間まで戦争をしていたが故に出会うことさえままならなかった2人。この平安を束の間にせんためにも、このままジャングルには平和が訪れる事を願おう。
心の中に芽生えた思いは2人とも同じもので。
涼やかな風の中で互いに微笑みあった。
<あとがき>
以前に差し上げたぐれーとちゃんリクの加筆・修正版で、『ホワイトデーのお返しに悩むルファ』です。
エルフにバレンタインデー(やホワイトデー)なんてあるのか? と言う発想(妄想かもしれない)から出てきたのがこの物語です。
個人的には、(やたらと)キャラ数が多いところが気に入っていたりします。……最後の方は特にわけの分からない事になっていますが。
去年のホワイトデーから2週間ほどかけてお渡ししたものです。
けれど。(以下私信。反転してください)
バレンタインのお返し小説なのですが、なかなか会えず、まだ頂いていないんですよね。
ぐれーとちゃんの美麗イラスト。
はぅぅ。
お忙しいのは良く分かっておりますが……よ、良ければ頂きたいですっ。
2006年4月20日掲載
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