〔Valentaine Day〕









 ある冬の寒い夜のことである。
 空では、冷え切った空気によって星が美しくまたたき、細い銀色の三日月が優雅な弧を描いている。そんな中で、一行はぐるりとあたりを取り囲む針葉樹林がナイフのような風から守ってくれている小さな広場で、赤々と燃える炎を囲んで話に興じていた。冷え切った森に時折楽しそうに響く声が辺りの空気を優しく彩っていた。

 そして、夜も更けた頃。

「さてと。そろそろ深夜だし、もうそろそろ寝るか」

 う〜ん、と伸びをしながらブロントが立ちあがった。

「そうだね。えっと、今日の見張りはジルバだっけ?」
「おうよ。任せとけって」

 ジルバが頷いた。それを確認すると、他の皆もバラバラと立ちあがって「頑張れ」やら「寝るなよ〜」(「誰が寝るか!」と反論もあった)やら声をかけてテントの方へ戻って行く。マゼンダは最後まで残ってなにか迷っている様であったが、ジルバ以外いなくなるとそのまま立ち去った。




マゼンダがテントに入ると、先に入っていた三人がピタリと口を閉じた。そして、マゼンダの方に一斉に注目する。その眼には何かを期待している光があった。

「何? どうかしたの?」

 きょとん、としながらマゼンダは訊ねた。

「――ね、渡せたの?」

 リンは少し声を潜める様にして興味津々にマゼンダに聞き返す。マゼンダは一瞬ドキリとしたようだが、いつものとおりの表情を取り繕って言った。

「何を?」

 すると、バフッっと言う音を立てて、リンがまだ開いていない寝袋を叩いた。かなり焦れているようだ。

「決まっているじゃない! バレンタインチョコよ」
「―――――!!」

 その途端、奇妙なくらいテントの中が静まり返った。それでいて、あちこちに興奮が満ち溢れている。テントの周りの木々さえも聞き耳を立てているようだった。



「……で、首尾は?」

 リンが追い討ちをかける。

「……何が言いたいのかしら? それに、一体誰に渡すって言うのよ?」

 マゼンダにとってはそれが最後の砦なのであろう。微かに顔が引きつっている。

「え〜? 今見張り番をしている人じゃないのぉ?」

 のんびりとした声で悪びれずに―いや、悪い事だという意識は無いのであろうが―ティンクが言い放つ。途端に、マゼンダの頬に朱がのぼる。

「――……! な・何だって私がアイツにあげないと行けないワケ?!」

 そして、その紅くなった顔を隠す様に眼をそむけながらマゼンダは続けた。

「だいたい、あんな奴にあげるチョコなんて用意する気も起きないわよ!」

 すると、3人の顔に意味深な微笑が浮かんだ。

「あらん、隠したって無駄よ。ちゃ〜んと用意してたことは知っているんだから。ねぇ、テミ?」

 テミはあたふたと、何でわたしにふるんですか〜、と半分泣きそうに言ったが、すぐに観念して言った。

「……すみません。マゼンダさん……わたし…あの、その……」

 続いてモゴモゴと意味を成さない言葉をぶつぶつと呟いている。



 ――見られてた?
 マゼンダは、何かを言う事すらままならず、酸素不足の魚のごとくパクパクと開閉していた。いまや、頬も真っ赤で、髪と区別がつかないくらいであった、と言っても過言ではないかもしれない。

 ふぅ、とリンが溜息をつく。

「その調子じゃ、まだ渡せてないみたいね」

 リンは、やおら立ち上がると、マゼンダの肩をポンッ、と叩いた。そして、入り口で立ち止まっていたマゼンダをテントから追い出しにかかった。

「ほら。いってらっしゃい」

 全く世話が焼けるんだから……とか何とか言いながらぐいぐいとマゼンダを押す。

「あ、そうそう。渡してくるまではテントには入れないからね?」
「ええっ?!」

 その、付け加え、と言う風にさらりと言われた言葉にマゼンダは絶句した。

「頑張ってね〜♪」
「――御幸運を祈ります」

 更に追い討ちをかける二人。マゼンダはただ呆然と成すすべなくテントからまた夜の冷たい空気の中に取り残された。

「――全く、人をなんだと思っているのかしら……」

 苛々と呟いても、当然、答えなど返って来る訳がない。

 ……………。

 しばらくの間マゼンダは躊躇していたが、やがて諦めて肩をすくめると、何事かを決心したような表情で歩み去った。




 ジルバはふと、暗闇の中に何かの気配を感じた。敵意はないようだが、油断は出来ない。ジルバは傍らの槍を引っつかむと、すぐに攻撃に転じれる態勢を取り息を潜めた。
 ――こっちへ来る?
 それを感じて更に槍を握る手に力をこめる。しかし、炎の中に浮かび上がった人影を見て、安堵の吐息をついた。

「何だ……マゼンダか。脅かすなよな――そういや、テントに戻ったんじゃねぇのかよ?」

 不思議そうに訊ねるジルバに、マゼンダは不機嫌そうに答えた。

「……追い出されたのよ」
「………は?」

 ジルバは眼を丸くした。不審さを通り越して、むしろ唖然としてしまう。

「追い出されたぁ? 何で?」

 目を丸くしたジルバが聞くが、マゼンダは答える事が出来なかった。まさか、ジルバにチョコを渡していないからだとは言えないし。全部あんたのせいじゃない、と半ばヤケになって心の中で呟く。マゼンダは後ろ手にチョコを隠し持って目を逸らして立ち尽くしていた。

 気まずい沈黙が流れる。そんなマゼンダを見かねたのか、ジルバが声をかけた。

「――そこじゃ、寒いだろ。こっちへ来たらどうだ?」
「あ、うん……」

 いつもはジルバが一言でもいうと数十言は返すのだが、今日は珍しく素直に従った。風は木々が遮ってくれているとはいえ、空気は氷のように冷え冷えとしていて肌に突き刺さってくる。
 ……よっぽど寒かったんだろうな。
 そう、暢気にジルバは考えた。


 マゼンダは、ジルバの隣に腰を下ろし、そっと彼の方を盗み見た。炎に照らされているからなのだろうが、微かに顔が赤くなっている。薪をくべていてジルバはその視線には気がつかなかったようだが。

「あ…あの……えっと……」

 視線を炎に戻し、どうやって切り出そうかとマゼンダは考えていた。

「んぁ? 何?」

 ひょい、っとマゼンダの方に顔を向けながら訊ねる。マゼンダの顔も紅く火照っていたが、これはただ炎の所為だけではないであろう。

「――今日、なんの日か、知ってる?」



 マゼンダは、僅かにどもりながら、目はしっかりと炎を凝視してぽつりと言った。

「……はへ? 今日、何かあったっけ?」

 ジルバは首を捻った。誰かの誕生日ってワケでもないし。特に思いつくものはない。しかし、そう訊ね返した時に浮かんだマゼンダの怒りと落胆の入り混じった顔を見て慌てて考える。
 よっぽど大切な事が何かあるのだろう……思い出せないが。

「あ、そう。じゃ、良いわ。邪魔したわね」

 何を怒ったのか、マゼンダは立ちあがってさっさと炎の傍を離れて行った。後には、綺麗に包装紙で包まれたカードが1枚残されていた。


  『ジルバへ』


 カードにはそう書かれていた。

「――ったく、何だって言うんだよ……」

 こんなカードとか貰えるような覚えは無いのだが。思わず、反射的に頭を抱える。

 ――そういや、さっきのマゼンダえらく素直だったな……。

「あああ……何考えてんだよ、俺は……」

 今にも顔から火が出そうだ。
 ああしてみると、結構可愛かったよなぁ……なんて思ったとは口が裂けても言えない。ジルバは完全に頭を抱え込んだ。

「そんな事より今日だ、今日」

 必死で思考回路を別の方へ向ける。


 何日だっけ? 確か2月の半ば辺り、13日……いや、もう深夜過ぎだから、今日は14日か。

「……って、何ぃ!」

 まさか。
 あまりにも驚いたために素っ頓狂な叫び声が出た。
 思わずがばり、と跳ね起きる。勢いあまって座っていた丸太から転げ落ちた。
 まさか……まさか、そんな事があるのだろうか?




「ああん、もう、焦れったい!」

 ぎゅっと両手を握り締めながら小さな声でリンは言った。それも、両手と頭に木の枝をつけた、『いかにも』な変装までしている。しごくバレバレではあるが、ここまでくれば野次馬精神も極まれり、というところだろうか。

「どうしてあんなに鈍いワケ?!」

 しかもドジだし〜、っと、今にも飛び出しかねないリンに、テミは慰め顔でまぁまぁ、と声をかけた。
 そして、話題をそらす。

「それよりも……ティンクさん遅いですねぇ」
「そうね。一体マゼンダはどこまで行ったのかしら」

 茂みを駆け抜けてマゼンダに見つからない様に追いかけるのは不可能に等しい。だから、ティンクにマゼンダが立ち止まるまで後をつけてもらったのだ。だが、肝心のティンクがなかなか戻ってこない。

「まさか、道に迷ってるんじゃないでしょうね……」

 その時であった。ふいにガサガサと言う音が聞こえ、何かが出てきた。

「ティンクさん……?」

 そっと囁きながらテミが振り返る。そして、あ、と声を上げた。

「どうしたの? ……って、あわわ……」

 そこにいたのはジルバであった。ジルバはいつもよりトーンを落とした声で言った。背筋が薄ら寒いのは、この気候のせいだけではなさそうだ。

「……なかなか面白い事話してるじゃねぇか。ティンクが戻ってきたら、俺が行くぜ?」

 が、と言う所を強調して、2人を牽制する。リンとテミは半ば呆然としながらカクカクと頷いた。折悪しく、ティンクが返ってきたのは、ちょうどそんな時であった。



 マゼンダは暗い森の中を疾走していた。

「はぁ…はぁ……っ!」

 もともと激しかった動悸がますます激しくなる。マゼンダは走るのを止め、近くにあった木に寄りかかり、そのままずるずるとしゃがみこんだ。そして箱をも抱き込む様にして膝を抱えた。

「――何やってんだろ、私……」

 膝を抱く手にきゅっと力が入った。
 すっと頬を一滴雫が滴り落ちる。冷たい雫が地面に落ちて消えた。

「馬鹿だ……ホント、馬鹿だよぉ……」

 せっかくのチャンスだったのに。
 あんなに近くにいたのに。
 いざって時になって逃げ出しちゃうなんて。
 どうして私ってこうなんだろう?
 何で素直になれないのかな……。
 自己嫌悪。ただそれだけがマゼンダを苛んでいた。

「ジルバ、怒ってるだろうなぁ……」

 そう思うと、ますます気が滅入ってくる。この状態じゃテントにも戻れないし。マゼンダは、そんな気を奮い立たせるかのように空を見上げた。冬の澄み切った空に満天の星空が輝き、細い三日月がマゼンダの顔を僅かに照らし出している。

「三日月……か」

 マゼンダは、これから膨らんでいく三日月が、これから小さくなって行く一方の満月よりも好きだった。これから、と言う希望を感じられたから。
 でも、自責の念を持ちながら見上げる三日月はいつもと違ってますます小さくなって行くように思えた。それは、まるで死神が持つ鎌のようでさえあって。奮い立たせようとした気がますます沈んで行く。マゼンダは、嘆息した。

「これ……自分で食べちゃおうかな」

 冗談とも本気ともつかない口調でそう呟いてみる。そして、しばらく包装紙を見つめた後、うんっ、と頷き、包みに手をかけた。甘いものを食べれば少しは元気が出るかもしれない。


 と、その時だった。

「人のヤツを勝手に食うなよ」

 背後から声が聞こえて、マゼンダの手から包みを奪い去った。

「あ〜っ、ちょっと! 何すんのよ!?」

 慌てて涙を拭って叫ぶ。が、ジルバは飄々(ひょうひょう)とした顔で言った。

「だって、これ、俺のだろ?」
「?! 何で私があんたにあげなきゃいけないのよ?」

 心の中では凱歌をあげながらも、真っ赤になってマゼンダは言い返す。そんなマゼンダをニヤニヤ笑いながら見て、ジルバは1枚のカードを取り出した。

「だったら、これは何だ?」

 あっ、とマゼンダが声を上げた。
 ……落としてたんだ。
 それか掠め取られたのか。
 どっちにしろ、全く油断できないんだから。そう思いながらも、自然頬が緩んだ。恐らく、自分は今、真っ赤になっているだろう。マゼンダは、夜で顔がはっきりと見えない事に感謝した。

「ぎ、義理の義理の大義理だからね!」
「へいへい。言ってろって」


 からかう様に言葉を投げて走り出す。

「早く来ねぇと置いてくぞ!」
「あ、ちょっと……」

 ここで置いて行かれたら、来る時に闇雲に走っていただけに帰りつけないだろう。そう思って慌てて走り出す。そして、少しだけプライドを保つように、待ちなさ〜い! と言いながら追いかけて行った。

 まだまだ寒いとは言っても、暦の上ではもう既に春。もうすぐ雪解けも訪れる。
 この2人に春が訪れるのもそう遠くない事であろう。





<あとがき>
 2005年2月に献上したリースへの誕生日プレゼントの加筆・修正版。
 テーマはリクより「ジルマゼ」です。ちなみに、裏テーマは乙女のはにかみ(何故)
 ただ単に素直じゃないだけ、って感じもしますが。でも、この2人ってどうしてもこう言うイメージを持ってしまうのですよね……。

 出歯亀三人組がやたらとでしゃばってます。必要無いだろ、この3人……とか思いながらも、楽しんで書いてました。きっと、ジルバ(とマゼンダ)は次の日、皆にからかわれ続けるんだろうな……なんて。
                             2006年4月20日 掲載


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